「いじめ」とは何ぞや。子供たちに足りないものは何ぞや。
不登校新聞 552号 2021/4/15
「いじめのピークは小学2年生、低学年ほど注意を」
"専門家の指摘を総合すると、いじめの低年齢化が進んだ要因は2つです。ひとつは調査の定義が変わったこと。ひやかしや悪ふざけと言った軽微な事例も報告するよう文科省が求めており、これに応じて小学校低学年のいじめ件数は増えました。もうひとつの要因は、小学校低学年の子どもたちが感じるストレスが増加したことです。"
(上は2019年のいじめ認知件数、下は2009年の同件数。いずれも引用元より)
この後、この文章はお家の方がお子さんに「小学校に入ってから困らない様に」と習い事を色々とさせていることや、世の中が求める規範意識の高さや知識・技能の高さが上がってきていることに触れているわけですが。
私自身、実際にそうだと思うんですよね。
関東に来て初めて知ったんですが、夜遅くまで中学受験を専門にしている学習塾さんは煌々と明かりを点けている。(私の住んでいる田舎ではそもそも私立中学って無かったので……)
小学校の先生方の書いた様々な媒体を見て、英語やプログラミング、GIGAスクールによるカリキュラム内の活動がどんどん増えているのも感じる。
先生方がしんどいと思っているものは、大抵子供たちもしんどい。
「社会から求められている力」「子どもに求めるより良い未来」
言葉にするのは簡単だけれど、それを形にするために具体的にどうするか。
カリキュラムを減らす覚悟の無い中で、ビルドアンドビルドの教育をしていく以上、子供たちにとってはある意味「苦行」でしかのではと思うわけです。
そんな中で、子供たちもまた、日々の生活にしんどさを覚え、人間関係を少しずつ構築する余裕を無くしていくのは、ある意味必然なのかもしれません。
子供たちにより良き将来を見出すために努力するすべての人に敬意を払いつつ、同時に子供たちにこそ子供たちの頃にしか出来ないこと、身につけられないこと、そんなものを改めて大事にする余裕を与えてほしいと、切に願うばかりです。